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Bd-homeのお家づくり


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目にみえないもの

こんにちは!
スタッフ海保です。

昨日は終戦記念日。

息子が読書感想文を書くのに戦争の事を聞きたいと言うので、戦地に行っていた祖父の話をしました。
祖父は6年前になくなりましたが、祖父の事を大好きだったわたしは・・・あるテレビ番組をきっかけに祖父の戦地への足跡を調べていました。
目にみえないもの_e0149215_1385934.jpg

驚くことに、海軍は国に陸軍は県に・・・隊の詳しい内容が残っている場合があるんですね。
祖父は陸軍に属し、船舶砲兵隊として戦地に兵隊さんや物資を運ぶ役割をしていました。
県から届いた資料には、出征した日から除隊した日まで・・・
どの船に乗ってどこへ行き
どこで対空戦闘に参加したか
東経○○度××分、北緯××度○○分の洋上にて敵潜水艦の魚雷を受け○○丸沈没、遭難
などと、まるで日記のように記されていました。

祖父から聞いていた話が活字になると、より真実味を帯びるというか・・・
命が極限状態にさらされていた現実を生々しく感じます。

さらに調べを進めていくと、石油の枯渇の一途をたどっていた終戦近くに、油の特攻輸送の船ににも乗っていました。正式には「特攻輸送船神機突破輸送隊」といい、石油を血の一滴と考え、玉砕を覚悟で輸送にあたったそうです。
祖父の乗っていた「せりあ丸」について書かれている内容はいくつかありましたが、私が一番興味を持ったのは・・・激しい戦況下、輸送を成功させた32歳の若き船長でした。

上層部との船団会議では、前代未聞の要望書(単独走行)を提出し、海軍の参謀を激怒させ・・・軍刀まで出てきてあわや・・・という場面があったのにも屈せず、航海の専門的立場から切りかえし了承させました。
想像を絶する会議・航海であったに違いありませんが、シンガポールからベトナムの沿岸を徹底した接岸航法で北上し、難所である海南海峡を渡り、朝鮮西岸から門司港へ無事戻ってきました。

航海について・・・書けば長くなるのでやめますが、この事は私は知りませんでした。
軍令違反で処罰されるのを覚悟で要望書を出してくれた船長の事も。

ふと思いました。
見えているものがすべてのような気がするけど・・・
知らない事の方が多い。

生まれてくる事は必然だったのかもしれないけど・・・
肉親だけでない・・・
見ず知らずの人が決死の覚悟で守ろうとしてくれた命が
私につながっている

大そうな事はできないけど、もう少し足跡を調べて子供たちにつなげていけたらな・・・と思いました。

そして・・・いつか門司の港へ行ってみたい。
祖父はフィリピンへ行くのも、シンガポールへ行くのも、ロシアへ行くのも・・・ここから出航している。
たぶん、ここで戦艦大和も見ている。
船出の前夜はどこぞやの料理店で仲間と盃をかわしたのだろう。
最後となるだろう日本の風景を、どんな思いで見ていたのだろう。
私は、どんな思いで港に立つのだろう。
by bd-home | 2013-08-16 13:16 | スタッフ日記